私の生まれ故郷には、大きな祭りがない。
だから「祭りを通じて地域の人とつながる」という感覚がどんなものなのか、長いこと想像もつかずにいた。
先日、桑名市多度町の多度大社で行われる「多度祭(たどまつり)」を訪ねた。縁あってお世話になっている方の桟敷(さじき)に招かれ、上げ馬神事を間近で観覧する機会に恵まれたのだ。
「誇り」が形作る、三つの色

現在は三つの地区が、それぞれ異なる法被や衣装をまとって参加している。
馬は地区の人々が費用を出し合って購入し、乗り子(馬に乗る若者)の衣装も手作りされる。観客席を歩く人々の装いを見れば、その人がどの地区に属しているのかが一目でわかる。
お世話になっている方が教えてくれた。
「年配の方から子どもまでが一体となって作り上げる。この祭りがあるからこそ、地域に世代を超えた『縦のつながり』が生まれる」
なるほど、と思った。これは単なる「イベント」ではない。地域の紐帯(ちゅうたい)が、祭りという儀式を通じて、毎年、幾重にも積み重ねられていくのだ。
拍手喝采の熱狂、その裏側で
人馬一体となり、急峻な坂を駆け上がる。
これほどまでに人々が心を一つにし、手に汗握る瞬間が、今の時代にどれほど残されているだろうか。
馬が坂を乗り越えた瞬間、桟敷からは拍手が起きた。

しかし、熱狂の傍らで、確実に変わりゆく現実もある。
かつて七つの地区で担われていたこの神事は、時代の波に押され、現在は三地区へと縮小された。少子高齢化は、伝統の形さえも変えていく。
観客の数も、全盛期を知る人に言わせれば、以前の四分の一ほどに映るという。
長年この景色を見守り続けてきた年配の方々の目に、今の光景はどう映っているのだろうか。
「余所者」だからこそ見えた、光の価値
祭りのない土地で育った私には、この光景を「当たり前の日常」として受け流すことができない。
だからこそ、余計にはっきりと感じたことがある。
人が集まり、役割を持ち、世代を超えて一つの目的を共有する。その場所がどれほど稀有で、尊いものか。
人と人の関係が希薄になっていく世の中で、こうした場所はどうあるべきなのか。正解はわからない。けれど、多度の地には、私たちにそうした問いを抱かせる「生きた祭り」が確かに存在している。
来年もまた、この光景が続いてほしい。